Web Syllabus(講義概要)

平成21年度

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国際関係社会論 I 平石 直昭
選択  2単位
【社会】 09-1-1350-1863-01

1. 授業の内容(Course Description)
 この講義では、古代から幕末期(19世紀半ば)に至る日本の「国家」単位の行動を、それぞれの時期における東アジアの国際関係のあり方やその変化と関連づけて理解し、日本がどのように国家や民族として自己を自覚し、また自前の対外関係網を作っていったかを概論する。はじめにいわゆる「鎖国史観」の問題点を論じ、つづいて、扱う時代が長いので、全体の時期区分を概論する。その後、各時代に即して、東アジア規模の動向と日本の動きとを関連させて論じてゆく。詳しくは下記の授業計画を参照されたい。
2.
授業の到達目標(Course Objectives)
 現代世界では様々な面でグローバル化が進んでいるが、日本は島国という要因も作用して、人々の意識が内向きになりやすい。この講義では、古代以来の「日本」の形成が東アジア「国際社会」との接触・交流の中でなされてきたことを明らかにすることで、開かれた視野を身につけることをめざす。
3.
成績評価方法(Grading Policy)
 定期試験(80%)。期末試験の欠席者は0点の評価となるので注意すること。
 平常点(20%)。毎回の講義で出欠をとり、平常点の評価に反映させる。
4.
テキスト・参考文献(Textbooks)
 参考文献:教科書ではないが西嶋定生『日本歴史の国際環境』(東京大学出版会)は授業の枠組みを理解する上で役にたとう。他に主な参考文献は初回の講義であげる。また各回の講義で主題に関連するものを適宜紹介する。
5.
学生への要望・その他(Class Requirements)
 毎回、講義の冒頭で出欠をとるので遅刻しないこと。私語しないこと。質問の機会を与えるので、講義で分からない点は遠慮なく質問すること。
6.
授業の計画(Course Syllabus)
【第1回】
 講義の趣旨説明、参考文献の紹介。いわゆる「鎖国史観」の問題点について論ずる。
【第2回】
 東アジア地域における古代から19世紀半ばまでの国際関係史の概論。これを概論することで、次回以下の講義の予備知識をそなえるようにする。
【第3回】
 「倭国」と東アジアの国際関係。東アジアでは古代以来、中国を中心とする「華夷秩序」ないし「冊封体制」が成立し、周辺諸国はその体制との関連で自己の「国際的」位置を定められた。倭国がどのような状況の中で国際政治に登場してきたかを検討する。
【第4回】
 「日本人」の形成と境界の成立。「日本」という国号が正式に外交文書で使われたのは702年派遣の遣唐使が「日本国使」と称したのが最初といわれる。「倭国」から「日本」への名称変更の背後に、どんな国家統合の進行や国際秩序意識の変化があったのかを検討する。
【第5回】
 「天皇」号の成立と東アジア。「大王」を称していた日本の君主がいつから「天皇」号を称しはじめたか。この問題に関する学説を紹介しつつ、この称号の自称と東アジア国際社会の状況との関連を検討する。
【第6回】
 華夷思想の諸相(各国の比較)。5世紀の倭の武(雄略天皇といわれる)は中国を中心とする華夷秩序観の中に自己を位置づけていた。しかし7世紀初頭の遣隋使は国書で「天子」を自称し、華夷秩序の外に立つ態度を示している。では日本と同じように中国の周辺国だった朝鮮やヴェトナムは、華夷秩序観をいかに受容していただろうか。それを検討する。
【第7回】
 蒙古襲来。13世紀末、元王朝は日本の服属を求めてきたが、日本はそれを拒否し抗戦した。戦争に至る過程をたどるとともに、抗戦を支えた朝廷や幕府、また武士たちの自国意識を検討し、さらにこの戦争がどのような衝撃を日本社会に与えたかをみる。
【第8回】
 日本中世の王権と対外関係。南北朝の内乱を治めた足利義満(14世紀後半)は、明との間に勘合貿易を開いて繁栄をもたらした。しかし明皇帝から「日本国王」として冊封されたことは、中国中心の華夷秩序に組み込まれたことを意味する。義満の対外観を検討する。
【第9回】
 秀吉の朝鮮出兵と東アジアの国際関係。秀吉の朝鮮出兵の経緯をたどり、大明征服という彼の企てがどのような政治的意図に基づいていたのか、抵抗した朝鮮官民の戦いや明軍の戦いの実情について検討する。
【第10回】
 16世紀におけるヨーロッパ人の登場。戦国時代の最中に西洋人が登場したことは、日本人の世界認識や対外観にどのような変化を与えたか、日本人による東南アジア等への進出とあわせて検討する。
【第11回】
 琉球王国の形成。小王国に分かれていた琉球は、14世紀末から15世紀にかけて明との朝貢貿易体制に組みこまれ、海禁政策のため私貿易が不可能になる中で統一王権が形成されてゆく。そしてやがて薩摩藩を介して徳川幕府に服属するに至る。その過程を検討する。
【第12回】
 「鎖国」と外に開かれた四つの口。徳川時代の日本で外に開かれていた四つの口として、松前(蝦夷地)、対馬(朝鮮)、長崎(オランダ、中国)、薩摩(琉球)があげられる。それぞれがどのように形成されていったかを跡づける。
【第13回】
 幕藩体制下の日本型華夷秩序の成立。徳川幕府は、朝鮮王朝と琉球王国に対する通信、オランダ・中国商人に対する通商を行っていた。それらが全体としてどのような秩序原理に立脚していたかを検討する。
【第14回】
 朝鮮王朝の日本観。秀吉の朝鮮出兵によって大きな被害を受けた朝鮮王朝は、江戸時代に幕府に派遣した通信使の報告や見聞を通じて、日本に対する観察を怠らなかった。彼らがどのように日本を見ていたかを検討する。
【第15回】
 日本の開国と東アジア。19世紀半ばに日本は欧米諸国に対して開国し、近代化に向かって飛躍する。同時期の中国や朝鮮が伝統的な体制に固執していたのに対して、それは大きな相違といってよい。この相違がどのようにして生れたのか、その諸要因を検討する。