Web Syllabus(講義概要)

平成21年度

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日本社会史 II 平石 直昭
選択  2単位
【社会】 09-1-1350-1863-10

1. 授業の内容(Course Description)
 この講義では、17世紀初頭の徳川幕府の成立から、19世紀末の日清戦争までの約300年間の日本の社会史を扱う。幕藩体制の支配原理、独自の対外関係網の構築、元禄社会の繁栄、田沼時代における生活意識の変容、幕末維新の「開国」がもつ意味、上からの近代化に対する下からの近代化、明治新政府による国民の制度化、日清戦争を通じた国民的エネルギーの吸収などをとりあげる。現代の日本人にとっては、明治維新の前後における日本社会の変動がどのようなものだったか、またそれがどんな意味をもっていたのかは理解しにくいと思われる。この講義では上記の約300年間をとりあげることで、徳川幕藩体制の成立と崩壊の過程、さらに維新前後の流動期をへて、明治20年代に新たな制度化がどのように進められたか、その過程を跡づける。
2.
授業の到達目標(Course Objectives)
 この講義であつかう約300年間の社会史は、19世紀半ばの明治維新の前後で大きく二つの時期に分かれる。この前後の社会を比較検討することで、明治維新とその後の改革により、世襲身分制下にあった徳川社会の何が変り、何が再編成されていったか、また何が新たに現われたかについて正確な理解をもつことをめざす。
3.
成績評価方法(Grading Policy)
 定期試験(80%)。期末試験の欠席者は0点の評価となるので注意すること。
 平常点(20%)。毎回の講義で出欠をとり、平常点の評価に反映させる。
4.
テキスト・参考文献(Textbooks)
 教科書はない。毎回講義に出席して、よく注意して聞いて欲しい。
 主な参考文献は初回の講義であげる。また各回の講義で、主題に関連するものを適宜紹介する。
5.
学生への要望・その他(Class Requirements)
 毎回、講義の冒頭で出欠をとるので遅刻しないこと。私語しないこと。質問の機会を与えるので、講義で分からない点は遠慮なく質問すること。
6.
授業の計画(Course Syllabus)
【第1回】
 講義の趣旨説明、参考文献の紹介
【第2回】
 徳川幕府による覇権の確立。1600年の関ケ原陣における東軍の勝利、1603年の家康による江戸幕府の設立、1605年秀忠への将軍職の譲り、1615年大坂陣における豊臣家の廃絶、その前後における寺社や皇室・公家への法度類の発布。これらを通した徳川支配の確立過程を跡づける。
【第3回】
 徳川幕藩体制の支配原理。徳川幕府がどのような大名対策(相互監視)、公家対策(非政治化)、寺社(本末関係の設定による序列化)、人民対策(五人組による連帯責任、寺請制によるキリシタン禁教の徹底、旅行制限等)を組み合わせて、自己の支配を固めていったか、その統治の原理を検討する。
【第4回】
 対外関係網の構築とその原理。「鎖国」とよばれる当時の対外政策が一定の原則に基づいて作られていたこと、またそれが幕末の欧米世界への開港を容易にした一面をもつことを論ずる。
【第5回】
 元禄社会の繁栄。戦国状態の終焉とともに17世紀を通じて日本では、耕地面積が拡大し農業生産がふえた。人民の生活水準も上昇し、海運の発達もあって全国市場も成立した。当時の繁栄の様子を諸種の資料によって伝える。
【第6回】
 家職国家としての近世日本国家。「家職」「家業」という言葉や観念は支配層で使われていたが、徳川時代には庶民層にも浸透し、彼らの社会的な自覚を高めるテコとなった。近世日本の国家が、王朝支配下の中国とも封建制ヨーロッパとも異なったあり方をしていた点について論ずる。
【第7回】
 江戸時代後期における社会意識の流動化。18世紀中葉以後の日本では、家の世襲的な職業である「家職」にあきたらず、既成の枠を突破して新しい世界に向かって挑戦したいという動きが広範に生じた。その諸相に光をあてる。
【第8回】
 幕末維新期における「開国」の意味。「開国」は欧米に対して日本が開国することを意味したが、同時にそれは国内の様々な障壁(身分障壁や差別、交通制限、藩相互や役職相互のセクショナリズム等)の流動化を意味した。とくに世襲身分制の廃止が庶民に活躍の場を開いた意味は大きい。その社会史的な意味を論ずる。
【第9回】
 私立中産指導の近代化構想。明治初年には、政治権力を握った明治政府による急速な開化政策が進む他方で、人民の意識改革は進まないという状況があった。そうした中で一群の学者は、私立中産階級の立場から独自の構想を示した。その動きを追う。
【第10回】
 自由民権運動の社会史的背景。征韓論争による廟堂の分裂をうけて、明治7年には民撰議院設立建白が出された。その論理と、それがやがて明治10年代の民権運動につながってゆく経緯を、担い手の社会層の変化と関連させて論ずる。
【第11回】
 明治14年の政変。国会開設運動の盛り上がりの中で、明治政府の開明派だった大隈、伊藤、井上の三者は国会開設と政権移行を視野にいれた解決策を模索した。しかしこの三者の同盟は破れ、大隈は政府から追放された。近代日本の形成上この事件がもった意味について論ずる。
【第12回】
 帝国大学の設立。帝国大学は、国家の須要に応ずる研究・教育の遂行を理念として明治19年に設立された。それは日本が欧米列強に追いつくためのセンターとして、全国から人材を集める社会的なトンネル装置の役割をはたした。また大学自治の理念を広める上でも大きな意味をもった。その諸相を論ずる。
【第13回】
 教育勅語の社会史。明治23年に発布された教育勅語は、近代日本の教育理念の根幹を定め、祝祭日に朗読されることを通して近代日本人の意識形成に大きな役割をはたした。その制定をめぐる儒者と官僚との対立を検討し、またそれが社会に与えた作用を論ずる。
【第14回】
 大日本帝国憲法の成立。立案者である伊藤博文は、西洋ではキリスト教が精神的機軸をなすのに対して、日本でその役割をはたしうるのは皇室しかないとして天皇大権主義を唱えた。統治原理としてそれがもっていた構造について検討する。
【第15回】
 日清戦争とナショナリズム。19世紀末にこの戦争を戦うなかで、一般国民の国家への帰属意識がかってないほど高まり、一部には中国人への蔑視や排外主義をうむに至った。ナショナリズムが国民に浸透してゆく様相を検討する。