帝京大学

 

筒井 史緒

研究所・センター
学修・研究支援センター

筒井 史緒 講師 つつい ふみお

Fumio Tsutsui

生きるための力を養っています。それにはまず、自分の声を聴くこと。自分のなかのほんとうの自分の声と、自分を自分からそらすものの声を聴き分けることを、意識してみてください。自分が本当に望むものを聴きわけ、それに従えば、自分を本当に愛することができます。自分をそらすものに従えば、どんどん虚しくなります。
自分の本当の望みは、自分の奥にあります。それを聴き分ける方法を、見つけていきましょう。

連絡先

経歴・所属学会・専門分野・研究テーマ

経歴

1995年03月

  

大阪教育大学教育学部附属天王寺高等学校卒業

1995年04月

  

京都大学文学部入学

1999年03月

  

同上卒業

1999年04月

  

京都大学大学院文学研究科修士課程思想文化学専攻(宗教学)入学

2001年03月

  

同上修了

2001年04月

  

京都大学大学院文学研究科博士後期課程思想文化学専攻(宗教学)進学

2004年03月

  

同上研究指導認定退学

2007年03月

  

博士号(京都大学・文学)取得

2007年04月

  

帝京大学外国語学部専任講師

2011年04月

  

帝京大学総合教育センター・大学院外国語研究科専任講師

2017年04月

  

帝京大学学修・研究支援センター・大学院外国語研究科専任講師(至現在)

所属学会

宗教哲学会

専門分野
専門は宗教哲学。
愛と幸福について考えています。

18歳の頃京都大学で出会った恩師長谷正當先生の思想に、今も導かれながら、思索を重ねています。

博士論文まではウィリアム・ジェイムズの思想を研究していましたが、他人の思想に注釈したり、専門家同士だけで議論したりすることは、自分のいちばんの望みではないんだなと思うようになり、そのスタイルをやめました。
さまざまに、漠然と、でもなにか向かう先はどこかはっきりしているような、という感じで「いちばんたいせつなこと」に思いを巡らせながら数年経った2012年末。
TV番組「水曜どうでしょう」に出会い、「こんなところに答えがあった!」と衝撃を受け、衝撃のあまりそのまま研究を開始。2014年度より、本学「宗教文化論」にて「水曜どうでしょうを宗教学する」講義を開講中です。

水曜どうでしょうをきっかけに、既存の思想の研究ではなく、自分自身の思索をそのままシェアするスタイルにはっきりと移行しました。

人間は、肉体も、心も、思考も、魂も、すべてを癒し、満たしながら生きることで、自分の本質と一体化し。本当に幸福に生きることができるのだと思います。

その方法には思考だけではたどりつくことができませんので、わたし自身も、歌い、踊り、すべてを起動させながら日々思索しています。

人間が、ありのままの姿で、自分の本質を最高に表現しながら、楽しく生きること。
このために生まれてきたと心底感じられる生きがいそのものを、生きること。
愛し合いながら、完璧に幸福に生きること。
それが夢物語ではなくて、リアルな現実になること。
その構造や方法にまつわるあれやこれやが、現在の思索の中心です。
研究テーマ
すべての存在は、完璧に幸福である。
なぜなら、すべては愛によって創られているから。

その根本テーゼを前提として、水曜どうでしょう、ハワイの精神文化、アート、ヒーリングなどを実践しながら、「完璧に幸福に生きるための方法」について、思索研究を重ねております。
所属キャンパス
八王子キャンパス

教育方法・職務上の実績

教育方法
・ひとりひとりが自分を掘り下げ、他者と深く対話することができるような、ワークショップ型のクラスを運営。多様な解釈の余地のある答えのないテーマやトピックをとりあげ、真摯に探求する営みを通して、ひとりひとりが自分で感じ考えることをとりもどす。また、人がみな違う考えや感じ方をしていることが、素直に楽しいものであることを実感する。ひとはみんな違っていて、そんな他人たちとともにあることはなんだかいいものだな、と、シンプルに感じられること。そのシンプルな実感は、自分と人を信頼するという強靭さを生み、素直に居心地のよい社会を作る原動力になるはず。

・英語学習に「多読」を活用、日本語を介さず英語を英語のまま理解する力を養う。英語を読んでいる、ではなく、本を読んでいる、というとても自然な感覚になる。テストで点を取るための学習ではなく、英語をじぶんが使える言葉の選択肢の一つとして身体に落とし込むための訓練。英語はけっして、できたらなんとなく世の中うまくわたっていけそうなものではなくて、あくまで言葉だ。言葉とは、それを使って、知り、理解しあい、伝えあい、考えるためのもの、だから、日本語と同じように、知りたいこと、分かりたいこと、伝えたいこと、考えたいことがあって、はじめて生きてくる。表現する中身があってはじめて、言葉には意味が宿る。そんな、思えばあたりまえのことを、英語とのお付き合いにとりもどしてもらえたら、とも思いつつ。

・ひとつしか存在しない「正解」を求めるのではなく、ひとりひとりが誠実に生きることでしかかちえることのできない多様な「真実」を求める。講義においても、正確無比な知識を伝達するのではなく、ひとりの人間として、自分に見える景色を聴き手とシェアするという立場で語る。ひとりひとりが、真摯に自分に見える景色、自分に信じられてやまないものをしっかりと手放さずに進むことで、その数多の光線が交錯する焦点に、人間にとっての普遍的ななにかが、ぼんやりとでも浮かび上がってくるかもしれない、と、思っている。
職務上の実績
アカデミック・スキルズに関するテクスト作成に関わる。

著書・論文



ご利用にあたって
プライバシーポリシー
教職員専用
Copyright(C) 2006 Teikyo University. All Rights Reserved