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授業の内容(Course Description) |
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この授業では言語文化講読Ⅰに引き続き、心に関する哲学的な問題を扱う。たとえば、心は脳であると見なしたとしても、脳の物質性ではカバーできない側面を必ず含んでしまう。私の行為の客観面がすべて脳の作用から説明されたとしても、私の主観的、精神的側面はその説明の中には入ってこない。 その際、精神とは物理的エネルギーであり、かついまだに発見されていないタイプのエネルギーであるために、現在の物理学では説明できないとする見解が一方では呈示されている。他方では、精神とは物理学が前提とする客観的枠組みでは根本的に捉えられない性質にあるため、物理学の説明の範囲には入らない、という考えがある。 前者では主観性や精神とは物理的であり、将来的に物理学や神経科学の発達によって説明されることになる。ここで精神の説明可能性は経験科学の問題に分類される。他方後者では、主観性や精神は物理学では根本的に説明できない。しかしこれは精神とは得体の知れない何かだということではなく、物理学のような客観的な自然科学の認識枠が、精神の主観的性質を最初から締め出している、ということである。言い換えれば、物理学は精神の一側面を示すが、他の側面はそこで示されてはいない、しかしそれは物理学が物理的次元において発見できていない何かがあるのではない、ということである。これは、心の客観的把握不可能性とは、経験的問題ではなく、論理的問題であることを意味する。 このふたつの考え方の違いは、物質と精神、脳と心に関する現代の心の哲学の議論にも、本質的な示唆を与えると考えられる。授業ではそれぞれの代表的な考えを概観し、それぞれの妥当性を検討する。
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授業の到達目標(Course Objectives) |
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目指すところは言語文化研究Ⅰと同じ。こういった地道な読解と思考の訓練には、試験に受かるためとか、何かの資格をとるため、といった直接の目的はない。しかし目的がないからこそ、こうした訓練は直接の目標を持ったあらゆる勉学の底力となることを理解して頂きたい。
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成績評価方法(Grading Policy) |
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学期末にレポートまたは試験を行う。出席は基本的に毎回とる。
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テキスト・参考文献(Textbooks) |
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プリントにて配布する。
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学生への要望・その他(Class Requirements) |
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この授業は基本的な思考力の鍛錬であると考えて、それなりの覚悟で受講して頂きたい。
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授業の計画(Course Syllabus) |
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【第1回】・【第2回】 精神を物資として捉えようとする立場の概観。チャーチランドの認知科学、スマートの消去主義などについて。それらの立場が精神をとらえ切れているのか。 【第3回】~【第5回】 精神が物質とは異なる側面を持つと見なす立場についての概観。古典的には存在二元論としてのデカルト。20世紀では、主観性と客観性との根本的な断絶を主張するネーゲル。中間的立場としての性質二元論、サールの生物学的自然主義。 【第6回】~【第9回】 精神はいまだ発見されていない未知のエネルギーであるとする、ベルクソンの見解について検討。特に、物理的な枠組みの中でこのエネルギーを見出そうとする際の問題点を検討する。またこれに関して、精神を捉える際にベルクソンが用いる枠組みに着目する。 【第10回】~【第12回】 ジェイムズ純粋経験説の再検討。精神を物理的エネルギーのひとつとするのではなく、物質や精神という分化以前に、経験という中立的原理を見出そうとする立場について。ベルクソン的な精神のとらえ方との相違に着目。 【第13回】~【第15回】 意識化される以前の精神を場所として扱う西田の立場。場所からすると、物資や精神はすでに実在の限定であり、この論理的な限定が二元論の問題を引き起こしているという考えの批判的検討。また場所において、自由と決定、主観と客観という二分法が消滅する仕組みについても検討する。
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