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授業の内容(Course Description) |
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この授業では言語文化講読Ⅰに引き続き、心に関する哲学的な問題を扱う。 まず、心は物質であるという考え方は物質的世界や、客観的世界の存在を前提にしている。つまり、外界の存在は疑わない。しかし心は、この当然視された外界をも疑い得ることが特徴である。これは一種の懐疑論であり独我論の系統にある。この考え方の問題点について吟味する。 次に、実在は客観的かという問題を扱う。これは自我の存在を世界のどこに位置づけるかという問題でもある。そこで、世界は客観的であるという立場、一人称的世界と三人称的世界とに根本的に分かれるという立場、そうした分裂がすでに概念形式によるものと見なす立場の3つについて吟味する。 さらに、物理的世界に精神を位置づけることはできるか否かを検討する。たとえばベルクソンは、精神とは物理的エネルギーであり、かついまだに発見されていないタイプのエネルギーであるために、現在の物理学では説明できないとする見解をとる。ここで精神の説明可能性は、経験科学の問題に分類され得る。それに対して、物質とはすでに実在を客観性に制限した概念であるため、精神はその枠組みに原理的に入り得ないという考えがある。これは、心の客観的把握不可能性とは、経験的問題ではなく、論理的問題であることを意味する。このふたつの考え方の違いは、物質と精神、脳と心に関する現代の心の哲学の議論にも、本質的な示唆を与えると考えられる。授業では2つの考えを概観し、それぞれの妥当性を検討する。
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2. |
授業の到達目標(Course Objectives) |
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目指すところは言語文化講読Ⅰと同じ。こうした地道な読解と思考の訓練には、試験に受かるためとか、何かの資格をとるため、といった直接の目的はない。しかし目的がないからこそ、こうした訓練は直接の目標を持ったあらゆる勉学の底力となることを理解して頂きたい。
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成績評価方法(Grading Policy) |
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学期末にレポートまたは試験を行う。出席は基本的に毎回とる。
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テキスト・参考文献(Textbooks) |
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プリントにて配布する。
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授業時間外の学習《準備学習》(Assignments) |
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この授業は基本的な思考力の鍛錬であると考えて、それなりの覚悟で受講して頂きたい。
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学生への要望・その他(Class Requirements) |
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言語文化講読Ⅰに同じ。文章を熟読し内容を理解することは、あらゆる勉学の基礎になるので、地道に積み重ねる努力を怠らないこと。
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授業の計画(Course Syllabus) |
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【第1回】 疑いえないものとしての、私の存在。 【第2回】 私の側にあるものとしての観念。そこから知られない領域としての外界。この区分についてのネーゲルの解説。 【第3回】 外界については本質的に知られない。すると外界は存在するか、疑わしい。 【第4回】 外界存在への懐疑は果たして妥当か。それはどのように解決可能か。 【第5回】 主観的存在は客観化できるか。デカルトによる実体的な二元論の主張。 【第6回】 実体的二元論以外で、主観的存在を設定する立場。サールの自然主義など。 【第7回】 ジェイムズ純粋経験説の再検討。主観と客観、精神と物質の分化以前に、経験という中立的実在を中心に据える立場について。 【第8回】 主観的存在を設定する立場。客観に還元する立場。中立的実在の立場。それぞれにおいて自由意志の問題はどう扱われるか。 【第9回】 精神は物質に還元可能か。物質から見たクオリアではなく、クオリアから見た物質。 【第10回】 ベルクソンによる精神のエネルギーの位置づけ。脳を通じて目前の問題に対処する精神の働き。 【第11回】 脳を通じない精神の性質。記憶。これは世界にどう位置づけられるか。 【第12回】 未知の物理的エネルギーとしての精神のエネルギー。経験的に認識可能なものとしての精神。 【第13回】 概念として扱われる意識以前を、場所として扱う西田の立場。 【第14回】 意識から場所を見るのではなく、場所の限定として意識を見る立場。場所は論理的な限定以前であるため、決して経験的認識の対象にならない。 【第15回】 この論理的な限定が、二元論などの形而上学の問題を引き起こしていること。場所において、自由と決定、主観と客観という二分法が消滅する仕組みについての検討。
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