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授業の内容(Course Description) |
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心の科学と心の哲学とは、どこが違うのか。例えば、特定の光の刺激に対して脳のどの部分が興奮するのか、またはある精神的な疾患がどのようにすれば治療できるか、という問いは自然科学的である。観察によるデータから、それらの答えは導き出されるからである。しかしなぜ脳の特定の部分の興奮が、見えるという感覚を引き起こすのか、さらにはなぜ脳がこの意識を生み出すのか、という問いは哲学的である。データによってそれらへの答えを出すことができないからである。しかし心はこうした哲学的な問いに常にさらされている。心は目に見えないために、経験的な実証データと、哲学的な問いとに常にはさまれているからである。 心は物理的世界に位置づけられるかという問いは、こうした心の性質を象徴している。たとえばベルクソンは、精神とは物理的エネルギーであり、かついまだに発見されていないタイプのエネルギーであるという。つまり今のところ説明できていないが、物理学の対象になる、ということである。ここで精神は、経験的な科学の問題に分類され得る。それに対して、物質とはすでに実在を客観性に制限した概念であるため、精神はその枠組みに原理的に入り得ないという考えがある。これは、心の客観的把握不可能性とは、経験的問題ではなく、論理的問題であることを意味する。このふたつの考え方の違いは、物質と精神、脳と心に関する現代の心の哲学の議論にも、本質的な示唆を与えると考えられる。
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2. |
授業の到達目標(Course Objectives) |
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目指すところは言語文化講読Ⅰと同じ。こうした地道な読解と思考の訓練には、試験に受かるためとか、何かの資格をとるため、といった直接の目的はない。しかし目的がないからこそ、こうした訓練は直接の目標を持ったあらゆる勉学の底力となることを理解して頂きたい。
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3. |
成績評価方法(Grading Policy) |
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学期末にレポートまたは試験を課す。出席は基本的に毎回とる。
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テキスト・参考文献(Textbooks) |
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プリントにて配布する。
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授業時間外の学習《準備学習》(Assignments) |
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この授業は基本的な思考力の鍛錬であると考えて、それなりの覚悟で受講して頂きたい。
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学生への要望・その他(Class Requirements) |
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言語文化講読Ⅰに同じ。文章を熟読し内容を理解することは、あらゆる勉学の基礎になるので、地道に積み重ねる努力を怠らないこと。
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7. |
授業の計画(Course Syllabus) |
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【第1回】 心の哲学は、心の科学とどう違うのか。 【第2回】 心の哲学の基本問題についての概観。クオリア問題、自我存在、自由意志、他我問題と独我論、心身問題など。 【第3回】 意識状態は脳状態に還元されるか。還元論における、論点先取の問題。 【第4回】 物質としての脳から、なぜ物質とは異質の意識なるものが生じるのか。意識の難問。 【第5回】 精神は物質に還元可能か。クオリアは物質という概念を前提にしてはじめて問題化する。 【第6回】 自由意志は存在するか。決定論が含む問題点について。 【第7回】 リベットの実験。意志より脳活動が先行する、という実験結果と、その問題点。 【第8回】 主観的存在を設定する立場。客観に還元する立場。中立的実在の立場。それぞれにおいて自由意志の問題はどう扱われるか。 【第9回】 ヒュームにおける、因果の存在証明の不可能性について。 【第10回】 因果は便宜的説明として成り立てばよい。同様に、知は役立てばよく、根拠づけられる必要はない。 【第11回】 ベルクソンによる精神のエネルギーの位置づけ。脳を通じて目前の問題に対処する精神の働き。 【第12回】 脳を通じない精神の性質。記憶。これは世界にどう位置づけられるか。 【第13回】 未知の物理的エネルギーとしての精神のエネルギー。経験的に認識可能なものとしての精神。 【第14回】 概念として扱われる意識以前を、場所として扱う西田の立場。 【第15回】 意識から場所を見るのではなく、場所の限定として意識を見る立場。場所は論理的な限定以前であるため、決して経験的認識の対象にならない。
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