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授業の内容(Course Description) |
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「宗教」って、いったいなんなのでしょう。ひとむかし前なら、「なんとか教」という名前のものや、神々や霊的存在への崇拝などのことだと思っていれば、すんだ話だったのかもしれません。そうなると現代日本という状況に生きる皆さんの多くは、ああオレ無宗教だわ、と自認することになるのでしょう。 しかし、ことはそれほど単純ではありません。宗教、あるいは宗教的なものは、昔も今も時を超えて、人間が生きるために必要不可欠なものです。ですから、皆さんも何らかのかたちで宗教を必要とし、おそらくは信仰しているといえるのです。 なぜ生きているのだろうという疑問、生きていることが辛いという現実、目に見えないものへの直観、生が喜びに満ちたものとなるべくこころを方向づけること、愛がどんな食物より生き物を養うこと……人間は、ただ肉体的に生存していればいいというものではなく、ここにこうして生まれ、生き、経験し、死んでいくことの「意味」を、食べずには生きていけない存在なのです。その、「意味を食べる動物」としての人間という普遍的な「縦糸」に、そのときどきの時代背景という特殊的な「横糸」が交わることによって、そこに欠如が生じます。そのとき生きている人々がとくに「これが足りない」「これが欲しい」「これを食べないと苦しい」と感じてしまうもの、その欠如を補いバランスさせ、「これがあれば幸福」と感じさせるものが、その時代にもっとも有効な「救い」として機能する。その、「そのとき機能する救い」が、宗教なのです。ですから、古来より、さまざまな「宗教」あるいは「宗教的なもの」が必要とされ、生まれてきました。 本講義では、その普遍と特殊の交叉としての宗教的現象のひとつとして、テレビ番組「水曜どうでしょう」をとりあげます。「水曜どうでしょう」は、人間が生きていることという普遍と、現代日本という特殊、その交叉点に、従来の宗教にはなかった「可愛い」という徹底的な救いを提示し、新しい宗教的存在として機能していると、わたしは考えています。 授業は毎回、そのときのわたしが辿りついた最新の思索アップデート報告のような形をとる予定です。そのライブ感を共有し、ひとりひとりが自分自身の生と照らし合わせながら、人が生きるということについて思いを深めてもらいたいと考えています。
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授業の到達目標(Course Objectives) |
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「宗教」の意味を問いなおし、「生きること」「幸福」「喜び」「愛」といった、一見よく知っていることばのもつ意味、広がり、多層性、多様性、深み、共同性などについて、各自思索を深める。 自分が生きていることを、新しく深いまなざしで見られるようになる。
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成績評価方法(Grading Policy) |
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学期末試験にて評価。出席、受講態度もあわせて考慮する。
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テキスト・参考文献(Textbooks) |
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授業時に適宜指示。
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授業時間外の学習《準備学習》(Assignments) |
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日常に潜む宗教的次元に、敏感に着目してみる。 古今東西のさまざまな宗教あるいは宗教的現象に、興味をもち調べ考察してみる。どうしてその時代その土地でそのような宗教が生まれたのか、現代に通じるものがないか、考えてみる。 じぶんが生きているということを、客観的に観察する。
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学生への要望・その他(Class Requirements) |
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授業を聴く、という受動的態度ではなく、授業をたんに自分にとってのインスピレーションの種と捉え、深く自由に思索してください。みなさんそれぞれにとって、本来の自分にたどりつくための旅の糧になりますように。
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授業の計画(Course Syllabus) |
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【第1回】 イントロダクション 【第2回】~【第14回】 「水曜どうでしょう」を宗教学する/「水曜どうでしょう」から宗教学する 【第15回】 まとめと学期末試験
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