日本経済入門Ⅱ
担当者岡本  勉教員紹介
単位・開講先選択必修  2単位 [経営学科]
科目ナンバリングECP-102

授業の概要(ねらい)

 春学期の日本経済入門Ⅰで、経済と日本経済を学ぶ意味について、勉強しました。
 秋学期の日本経済入門Ⅱは、春学期のⅠを踏まえ、日本経済の現状を詳しく見ていきます。

 日本経済は、1975年ごろから1985年ごろにかけて、非常に活発な状態になりました。主要国首脳会議(G7=日本、アメリカ、ドイツ、イギリス、フランス、イタリア、カナダ)の一員として国際的にも地位を固め、MADE IN JAPANは、世界の信用を勝ち取ります。88年、89年にはバブル経済に突入し、アメリカ経済を激しく追い上げました。
 しかし、90年代に入るとバブルが崩壊し、経済が低迷し始めます。97年には銀行や証券会社が倒産し始め、日本は、長い不況に陥ったことが明らかになりました。

 90年から10年立っても不況が終わらないため、この間を「失われた10年」と呼ぶようになりました。ところが、2000年になっても不況は終わらず、失われた10年は失われた20年になってしまいました。そこへ、東日本大震災も起き、日本はかつてなく厳しい状態に追い込まれます。
 自民党から政権交代した民主党政権は対応策を出せず下野し、2012年末、再び自民党政権が誕生します。ここで安倍首相が打ち出した政策がアベノミクスでした。アベノミクスは、賛否両論のある政策ですが、アベノミクスで日本経済が立ち直ったのも事実です。

 秋学期の日本経済入門Ⅱでは、80年代の最強の日本経済がバブルを経て失われた20年を経験し、アベノミクスが登場する過程を振り返り、日本経済の現状を考えます。

授業の到達目標

 アベノミクスは、支持する声と、反対する声が入り交じり、なかなか評価するのが難しい政策です。
 しかし、いまの日本経済がアベノミクスで立ち直ったことは事実です。
 アベノミクスを支持するにせよ、批判するにせよ、85年以降の日本経済の動きを把握しなければ、本当の議論にはなりません。
 日本経済のこの30年間の動きをしっかり知ることが目標です。

成績評価の方法および基準

 講義形式ではありますが、できるだけ、質疑をたくさん取り入れたいと思います。
 質疑だけではなく、小テストも何回か考えています。講義の最終回には講義内試験をします。
 そうしたものの総合評価で、成績を決めます。

教科書・参考文献

種別書名著者・編者発行所
教科書 
教科書は定めませんが、新聞、テレビ、あるいはネットでもかまいませんが、日々のニュースを、しっかりウオッチしてください。
参考文献

準備学修の内容

 日本経済は、大きく動いています。君たちは、その日本経済の中で、生き、生活しています。

 日本と世界で、何が起きているのか、真剣な関心を持って、日々のニュースを見てください。

その他履修上の注意事項

 この講義のためのノートを一冊、用意してください。
 出来れば、A4サイズのノート、いわゆる大学ノートを用意してください。
小さなノートではなく、大きなノートを使いましょう。
講義の内容を、しっかりと、ノートに取ってください。
 小テストをすることがありますから、その場合に備えて、講義では必ず、鉛筆(シャープペンシルでもかまいません)と消しゴムを持って来てください。

授業内容

授業内容
第1回この回はガイダンスです。
  秋学期の進め方について、話します。

第2回日本経済の最強の時代
 1985年の日本経済は、世界最強と評価されるような強力な状態で、アメリカを激しく追い上げていた。日本は巨額の貿易黒字を出し、アメリカとの間で、日米貿易摩擦を引き起こしていた。中国はまだ途上国であり、このころ、アメリカと対立していたのは、日本だった。当時の日本はどんな状態だったかを学ぶ。
第3回プラザ合意
 日本が出す巨額の貿易黒字に欧米から批判が高まり、欧米は円安が日本の黒字の原因だと指摘した。85年9月、日本、アメリカ、ドイツ、イギリス、フランスの5か国(G5)は、ニューヨークのプラザホテルに集まり、円安を円高に転換することで合意した。日本は無条件降伏したようなもので、
ここで日本経済は大きな転機を迎える。
第4回猛烈な円高
プラザ合意によって、外国為替相場は、それまでの1ドル=240円という円安から、一転、猛烈な円高に変わった。
 日本は、初めは円高を受け入れていたが、1ドル=190円の円高になると、輸出に急ブレーキがかかり、今度は、円高対策に追われるようになった。円高不況だ。
第5回バブル始まる
 プラザ合意によって引き起こされた円高不況を克服するため、日本政府は景気刺激策を採る。日銀は日銀で、金利をどんどん下げ、金融緩和に踏み切る。そのうち、円高で原油の輸入価格が下がり、円高のプラス効果も加わった。
 こうして、日本経済は、一気に景気過熱に向かう。これがバブルだ。
 このころ、欧州ではベルリンの壁が崩壊し、東西冷戦が終わる。

第6回バブル最盛期の日本
 バブルは、1988年、89年のまるまる2年間、続いた。このころの日本経済は、空前の好景気を享受し、株式市場は上がりに上がった。企業はアメリカで不動産をどんどん買収した。日本の資金は「ジャパン・マネー」として世界的に有名になった。
 昭和から平成に変わったのも、このときである。
第7回バブル崩壊
 バブルは1990年に入るとともに崩壊する。90年1月、東京証券取引所で、株価が急落し、その後も、下げが止まらなかったのである。
 89年12月末の東証の株価は、3万8900円だった。2019年1月の株価は、2万0100円ほどである。30年たって、なお、バブルの株価を超えることが出来ないでいる。

第8回1997年11月
 1997年11月は、日本経済にとって暗黒の月として記憶される。この月、まず、北海道拓殖銀行が倒産した。戦後、大手銀行としては、初めての倒産だった。続いて、山一証券が倒産した。
 この月、日本のサッカーはジョホールバルで勝利を収め、初めてのワールドカップ出場を決めたのだが、銀行倒産のかげに隠れ、メディアでの扱いは小さかった。
第9回失われた10年
1990年にバブルが崩壊し、日本経済は深刻な不況に陥った。世紀の変わる2000年になっても景気は回復せず、この10年間を「失われた10年」と呼ぶ。

第10回歴史的な政権交代
 バブル崩壊と失われた10年の不況により、国民は、自民党政権にNOを突きつけた。2009年8月の総選挙で、自民党は大敗し、初めて、民主党政権が誕生した。これは、歴史的な政権交代で、有権者の期待も大きかった。
第11回民主党政権の経済無策 
しかし、民主党政権は、長引く不況に、ほとんど何に対策も打ち出せなかった。2010年には、 GDPが中国に抜かれ、日本の経済規模は、アメリカ、中国に続く3位に転落した。2011年には東日本大震災が起き、福島原発では深刻な事故が発生した。
 だが、民主党政権は、こうした事態に手をこまねいているだけで、国民から批判が高まった。
第12回再び自民党政権 2012年12月総選挙
 民主党政権に国民は失望し、2012年12月の総選挙で、民主党は大敗し、再び、自民党政権が誕生した。
 安倍首相は、アベノミクスといわれる経済政策を打ち出した。大胆な金融緩和がその柱であった。アベノミクスは効果を発揮し、東証の株価は急騰し、1ドル=75円というとんでもない円高も、1ドル=100円台の円安に戻った。これで、日本企業はひと息つき、景気も回復した。

第13回アベノミクスの評価
 アベノミクスは、効果を上げているのだが、安倍首相の政治姿勢を批判する勢力は、アベノミクスにも批判的だ。ただ、アベノミクスは、あくまで経済政策であって、政治や政治姿勢とは一線を画するものだ。安部首相の政治姿勢は嫌いだという理由だけで、アベノミクスを批判するのは早計だろう。
 アベノミクスには、冷静な評価が求められる。
第14回 トランプ大統領とGAFA
 安倍首相が政権を維持する中、アメリカではトランプ大統領が誕生した。トランプ大統領は、アメリカ・ファーストを打ち出し、独自の政策を打ち出している。その一方、アメリカ経済は、GAFAと言われる新しい企業、すなわち、グーグル、アップル、フェースブック、アマゾンの4社が台頭し、いまやアメリカ経済を支える屋台骨となっている。いまのアメリカは、自動車や電機のような伝統的な産業ではなく、新しい産業が支えている。
 日本には、GAFAのような企業が出てきていない。
 日本経済が生き残っていくには、どうすればいいのか、考えよう。
 
第15回最終回は、講義の中で、試験をします。