東洋史特殊講義2B-Ⅱ
担当者楯身 智志教員紹介
単位・開講先選択必修  2単位 [史学科]
科目ナンバリングHAA-204

授業の概要(ねらい)

 紀元前154年、漢王朝6代目の皇帝・景帝の時代、中国東部を支配する7人の王が一斉に反乱を起こした。呉楚七国の乱である。中国を東西に分断する大反乱であり、日本史にたとえるならば、江戸幕府が成立した後に再び関ヶ原の戦いが起こってしまったようなものである。当時の都・長安では、漢王朝の滅亡を予期した商人たちが、こぞって荷物をまとめて引っ越しの準備をしたほどであったという。垓下の戦いで項羽が敗死してから約50年、劉邦の作り上げた漢王朝の天下が平和と安定をもたらしたはずだった。しかし、実態はそうではなかった。劉邦と彼の部下たちの努力は無駄だったのか、項羽の残した爪跡が深すぎたのか、あるいは他の誰かが選択を間違えたのか。
 一般的に、漢王朝を創始した劉邦は始皇帝に次いで「中華統一」を果たした英雄と見なされている。しかし、実態はそうではない。劉邦は皇帝に即位した後もさまざまな「敵」と戦い続けており、彼の死後もクーデター・反乱・政争は絶えなかった。上記の呉楚七国の乱は決して突発的で一時的なものではなく、劉邦が皇帝に即位してから少しずつ積み上げられてきた「ひずみ」が表面化した末の出来事だったのである。高校教育の世界史では、あたかも「中国が統一されている時代は安定的で平和である」かのように授業が展開されているが、あの広大な中国を「統一的に支配する」ということは、生易しいことではないのである。
 ただし、少なくとも史料の上では「漢王朝は中国を平和に導いた」かのように記されている。そこには漢王朝を「儒教を護持した聖なる王朝」と見なす偏見・捏造が多分に含まれている。それらを可能な限り除去し、数多くの「敵」に翻弄されながら広大な中国を「かろうじて支配した」皇帝たちの実態を探る必要があろう。
 本講義では、上記のような問題意識の下、垓下の戦いから呉楚七国の乱鎮圧を経て、7代武帝が漢王朝の最盛期を実現するまでの歴史を、最新の研究成果に基づいて詳細に復元していきたい。その過程で「劉邦は中国を統一した」、「呂后は悪女だった」、「武帝は中国古代屈指の名君だった」などの「一般的なイメージ」を可能な限りくつがえしていきたい。劉邦・呂后や武帝、あるいは中国前近代の歴史に興味のある学生はぜひ受講して欲しい。

授業の到達目標

・中国の皇帝支配体制下における政治展開を学ぶことによって、さまざまな時代・地域の政治権力や政治形態について問題意識を抱くことができる。
・中国古代史の一次資料に偏見や誇張・捏造が内包されている可能性があることを理解し、そのことを分かりやすい文章で説明できる。

成績評価の方法および基準

・確認テスト・コメントペーパー40%
・中間レポート30%
・期末レポート30%

教科書・参考文献

種別書名著者・編者発行所
教科書特になし
参考文献秦漢帝国西嶋定生講談社、1997年
参考文献呂太后期の権力構造―前漢初期「諸呂の乱」を手がかりに郭茵九州大学出版会、2014年
参考文献漢の武帝永田英正清水書院、2015年
参考文献前漢国家構造の研究楯身智志早稲田大学出版部、2016年
参考文献漢帝国成立前史―秦末反乱と楚漢戦争柴田昇白帝社、2018年
参考文献漢帝国の成立松島隆真京都大学学術出版会、2018年

準備学修の内容

・授業終了後、配布プリントなどを見直し、授業内容の概要について振り返るクセをつけておくこと。

その他履修上の注意事項

・私語など、他の受講者の迷惑になるような行為は控えること。
・授業内容をただ鵜呑みにするのではなく、その中から積極的に疑問点や問題点を探し出すように努めること。

授業内容

授業内容
第1回ガイダンス
第2回洛陽プランの形成——「郡国制」の実態
第3回関中プランへの転換――楚王韓信謀反事件
第4回ランキング・マジック——功臣封侯
第5回匈奴に屈服した劉邦——平城の戦い、劉邦暗殺未遂事件
第6回大風を詠って白馬に誓う――呂雉の台頭、劉邦の最期
第7回りょちケルベロス1――呂雉は悪女か
第8回中間レポート出題およびレポートの作成指導
第9回りょちケルベロス2――捏造された反乱、隠されたクーデター
第10回次の皇帝は誰だ――代王劉恒の皇帝即位
第11回ブラコン文帝の苦悩——淮南王劉長謀反事件
第12回「真の皇帝」になるために――文帝と賈誼の挑戦
第13回スゴロクの恨み——呉楚七国の乱1
第14回トロイの木馬とスケープゴート――呉楚七国の乱2
第15回総括——武帝による「皇帝権力」の確立 *オンライン